「煮詰まる」問題を煮詰める。

職場で、20代の後輩が「ながいこと議論してやっと煮詰まってきましたね」と言ったのを聞き、「『煮詰まる』を正しい用法で使っていて偉いね」と誉めたところ、キョトンとしていた。

ご存じのとおり、「煮詰まる」は、検討が十分に行われて結論に近づいたことを指す肯定的な表現だが、「行き詰まる」というネガティブな意で誤用されがちである。

ずばり言うと、この件の戦犯はユーミンと見ている。
「スキー天国、サーフ天国」の中に「悩み事は取りあえず帰ってからの宿題 煮詰まる恋はこの際都会に置き去り」という一節がある。

勿論、ユーミンが誤用の使い始めではなく、それ以前からあったのだろう。しかし、当時のユーミン楽曲の影響力を考えると、これが誤用の流布に大きな力となってしまったことは想像に難くない。

いまの40~50代にとってはユーミンは社会現象そのもので、恋愛、仕事、レジャーにおいて、規準であり指標であった。と、30代の私は聞いている。

ユーミンの楽曲の歌詞もメロディも大好きだが、この誤用だけはいただけない。

「煮詰まる」は、ユーミンの人気により誤用が広がって、ユーミンを知らない世代に至って、再び正しい意味を取り戻したのだろう。